無惨が見ただけで驚いていた炭治郎の耳飾り。
今回は竈門家に伝わる耳飾りについて考察していきたいと思います。
緑壱の耳飾り
主人公のトレードマークの1つである、花札のような耳飾り。
とても印象に残るデザインですよね。
この耳飾りですが、物語が進むにつれて特別なものであるという事が段々と判明してきました。
無惨が見ただけでも恐怖する、その耳飾りの持つ意味とは一体なんでしょうか。
炭次郎がつけている耳飾りは日の呼吸の使い手
継国縁壱がつけていたものと全く同じデザインの物ですよね。
おそらくは縁壱から竈門家に代々受け継がれていった物だと考えらます。
そしてこの耳飾りは縁壱が幼少のころからすでに身に着けていました。
代々竈門家に受け継がれしもの
炭次郎の前は炭次郎の父が耳飾りをつけていました。
そして父は幼い炭次郎に、耳飾りとヒノカミ神楽だけは途絶えさせずに継承させてくれと伝えます。
また、炭次郎が眠っている時に夢で炭吉と縁壱の会話シーンがありました。
この事から、戦国時代から竈門家と縁壱との接点があったという事がわかりますよね。
父は祖父からヒノカミ神楽を教わったと述べていることから、竈門家のみに代々伝わっているもの考えられます。
耳飾りは縁壱が生きていた時代の戦国時代(1600年頃)から、物語の時代である大正時代まで300年以上代々受け継いでいったとすると、かなり長い年月受け継がれ続けていますよね。
そして炭次郎の父も呼吸を使えること、透き通る世界が見えること
熊を一瞬で倒してしまう腕前から元鬼殺隊員ではないのかという事が考えられます。
日の呼吸=ヒノカミ神楽なのか?
竈門家にはヒノカミ神楽と共に耳飾りも継承されています。
ここで疑問が出てくるのがヒノカミ神楽=日の呼吸であるのか?という点です。
もし そうであるならば、耳飾りは日の呼吸の継承の証であると言えますよね。
しかし 作中では、日の呼吸とは呼ばずにヒノカミ神楽とよび、さらにヒノカミ神楽には型の数字がありません。
ここで日の呼吸のおさらいをしてみましょう。
日の呼吸は作中では縁壱のみが使え、縁壱が他の剣士に教えても、その派系の呼吸しか会得することが出来なかったとあります。
そして縁壱の兄(上弦の壱 黒死牟)ですら派系の月の呼吸しか会得できずに、無惨によって鬼にされています。
しかし、縁壱と炭次郎の先祖であろう炭吉の過去シーンでは
「道を極めし者がたどり着く場所は同じだ」
「必ず同じ場所にたどり着く」
との会話が強調されていますよね。
これは日の呼吸が特別な呼吸ではなく、誰でも到達しうる、という可能性を示唆してるのではないでしょうか?
そして、炭次郎の先祖は呼吸の剣士ではなく、しがない炭焼きと語っています。
あの黒死牟ですら、会得できなかった日の呼吸が単なる炭焼き職人に継承できているとは考えにくいですよね。
そして、縁壱は跡継ぎが必要ないと断言していることから、正式に日の呼吸を受け継いだ者がいないのではないでしょうか。
これらの点から、ヒノカミ神楽=日の呼吸であるとは考えにくくなってきましたね。
もしかすると始まりの呼吸と呼ばれる日の呼吸は、ヒノカミ神楽の舞を元に作られた…
というような関係性なのかもしれません。
今の段階では耳飾りの継承=日の呼吸の継承
と結論づけるのは少し早い段階かもしれませんね。
また、無限城編では、炎柱、杏寿郎の弟から初代炎の呼吸の使い手と日の呼吸の使い手の会話の手紙が、炭次郎あてに送られていましたよね。
この手紙で、もしかすると日の呼吸のヒントにつながる何かが隠されているのかもしれませんね。
手紙の全容がどんなものだったのか気になるところです。
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